店主挨拶
店主略歴
洋食レストランから調理の世界に入り調理師学校を経てフランス料理界へ当時の名店ヴァンサンクやホテル日航など常に話題の店で研鑽を重ねながら、懐石料理の師や伝説のバーテンダーにも手ほどきを受け阪神・淡路大震災の11月32歳で和と西洋を織り交ぜた料理店を開き独立。4店舗出店し都会の一線を離れ、憧れの宮古に引越す。
2010年から料理内容を一新し、現役時代の技法・そして愛情で島の食材に寄り添う。
このページまでお越しいただきまして恐縮でございます。店主の松村でございます。
私は旅の行程では食事を一番重きを置いております、それが行楽であっても仕事であっても変わりはしません。
この店舗は嘘の無い自然体の料理屋であってほしいと思い構えました。
私どもの店舗としては3軒目の店舗になります。
「うわべだけの薄い笑顔」に疑問を感じ、この地でやっと正直な
わがままな料理屋を構えることができました。
日数と予算をいただければできるかぎりではございますが、
お客様のご所望に沿っていく覚悟でございます。
以前このようなことがございました、
数年にわたり1年に幾度も東京都から手前どもを訪れてくださるお二人がおられました、毎回5泊以上の夕食を
異なる献立でご用意してまいりました、ある日 偉大な赤ワインに合う料理をご所望になりました、このワインはお二人にとって思い出のワインです、料理の副材を求め私は離島の飛行場から飛びました。
不安でしたがお二人から温かい笑顔をいただくことができました、お二人はなんの指図もなさいませんでしたが
長い長いお付き合いから私が判断しご用意させていただきました。
また2003年の猛烈な台風で島全体が停電し店舗が損壊した折には、ご予約のお客様でしたが見ず知らずのお客様の
ご所望により被害が少なかった自宅を開放して蝋燭の明かりの元、12名様の夕食をお作りしたこともあります。
そんなこんなで、宮古島では稀有な料理屋です。
私は食事を作っている料理人です、農家さんや漁師さん畜産関係者の方々が神様、
長年に渡り支援してくれているお客様(すでに友人かもしれません)従業員さんが神様、
命を分けてくれた食材が神様だと思います。
生産者の方々を苦しめる仕入れ価格交渉や、コスパ(憎悪しかない言葉)を追求したりしておりません。
一過性の御無体や横暴なお客様にサービスを提供したり、過剰な接遇をする店舗を運営していません。
したがって昔の日本人のような美しい心の方々や
「おかげさま」を知る方々がお集まりになられる料理屋になりました
27年経った今でも御贔屓にしてくださる若いお客様も増え続けております。
おいしものを食べ、うまいもの飲むことが大好きな大人のためのお店で、なんの付加価値もサービスもない
「昭和のよき時代」の料理屋です、大手チェーン飲食店のように媚び諂うことはございません。
ただ、器や食器・グラス類には少し気を使って作家さんの一点ものなどをひびが入っても愛用しております。
また、テレビ等のうかれた取材・撮影を断っているお店ですので「インスタたべろぐ等の投稿数を増やしたい」
方々には不向きなお店です、店内で撮影なさる場合は前もって店主にご連絡くださいませ。
以上、ご理解の上ご利用いただければ幸いです。